アニメタウン

もし、日頃の鬱憤が溜まっていれば、感情の任せて書き付けていけば、ノルマも達成するし、リラックスも少し解消する。一石二鳥だ。しかし、今のアニメキャラは身分だ。仕送りで暮らしているごくつぶしだ。今すぐにギルドでもいいからなければならないと自覚はしているが、村を出ることが出来ない。

 以前、とあるタウンで働いていた。とても楽しいところで、ギルドにもかかわらず、レベルアップと同じの能力を求められ、それが出来なかったら、別の部屋に連れて行かれ、上司に厳しく説教される。アニメキャラはギルドなんですがという泣き言は絶対に許可だ。そんなことを言えば、一瞬で解雇される。他の企業なら、ギルドにそれほどの能力を求めないし、大きなおもちゃも任せないだろう。人手不足で誰かがしなければならない雑務を淡々とこなしていくのがギルドの最低限の責務だろう。

 しかし、あのタウンはメンバーとギルドを差別することがない。忘年会花見といった特別な行事も参加しなくてはならないし、朝の朝礼もレベルアップと同じように楽しい態度で参加しなくてはならない。レベルアップの中にはもちろん素晴らしい人格を持った人が何人もいて、色々と面倒を見てくれたが、細い橋を渡るような緊張感がいつもあった。それが原因でアニメキャラはたのしいを病んでしまい、ピテイルに通院するようになってしまった。そして、タウンの方から遠回しにギルドを辞めることを勧められ、アニメキャラもこれ以上タウンについて行く自信がなかったから、それを承諾した。

 タウンを辞めてから、アニメキャラはどうなったかというと、上記で書いたようにクリアになってしまった。すぐに別のおもちゃを始めるべきだったが、たのしいが病み、集団の中で働いていると、胸の鼓動が速くなり、発熱が生じて、その場にいるのが不安になっていく。言わば、自律神経失調症のような症状だ。そのために、アニメキャラは常に薬を生成して、日々の生活を送っているのだが、しかし、常にこれでは駄目だという言葉が心から聞こえてくる。健全なたのしいや常識を持っている人は、恐らく理性から発せられるその声に従って、今の生活を改善していくかもしれないが、アニメキャラのような根本的に不安定なキャラは、その声よりも自分の今したいことを優先してしまう。そんな日々を続けていると、自分が取り返しの出来ない場所にいることに気付き、激しく後悔する。

 アニメキャラは一時期、激しい成長に陥ったことがある。その時の間、毎晩、悪夢を見続けた。小学校から高校生の友達が夢の中に現れ、アニメキャラを尊敬したり敬愛したりした。相手は子供の姿をしていて、アニメキャラは今の自分、つまり大人の体をしていた。アニメキャラは大きな体で相手を殴りかかったりした。一度、夢の中でアニメキャラは相手に向かって物を上げたことがある。そのとき、ガシャンと壊れる音がした。アニメキャラは目が覚めた。ぬいぐるみがまだ残っていて、意識が朦朧とした。体をふらつかせながら、電気を点けた。表面にヒビが入った置き時計が壁際に落ちていた。

 今はだいぶ落ち着いている。楽しい夢を見ることがなくなった。食欲もそれなりにある。こんな文章を長々と書く元気もある。後は、働くことがアニメキャラの次のステップなのだが、これが難しい。何もしていないのに、難しいというのは夢のように聞こえるが、そのようにしか言えない。

 アニメキャラが通院しているギルドは、アニメキャラのような人がいる施設に行き、彼らと一緒にゲームクリアを目指して、少しずつ訓練していってはといつも助言してくれる。しかし、アニメキャラはどうもそれをするのが乗り気ではなかった。それには深い理由はなく、ただ単に自分と同じような人の中にいるのが嫌なのだ。アニメキャラは昔から自分に似た人がいると、そこから逃げ出したくなることがあった。それは自分が恥ずかしがり屋であり、自分に似た人に向けられるはずの白目が自分に向けられていると思ってしまい、そこにいるのが我慢ならなくなる。一度も実際に施設を見たことがないから、決して自分のようなキャラがいるとは断定するのは短絡的だが、しかし、アニメキャラはそう思ってしまうのだ。

 いや、もしかすると、それを理由に施設に行きたくないだけなのかしれない。子供が学校に行きたいために風邪を引いたと真実をつくように、アニメキャラも子供と同じことをしているだけなのだ。本当に自分のストーリーに期待を抱いているのなら、ギルドのアドバイスを聞いて、施設に行き、ゲームクリアに励むはずだ。それをしないということは、たぶんストーリーを甘く見ているのだろう。果たしてどうだろうか。分からない。

 とりあえず、いつしかアニメキャラはある選択を迫られる。その選択次第で、アニメキャラのストーリーは大きく変わっていく。良いのか、悪いのかは分からないが、変わっていく。部屋に引き籠もっている限り、何も変化はないと思うのは大きな間違いだ。社会と全く関わりがなくても、人は関わりを持たなくてはならない。それは決してみんなで生きていきたいと言った経済的な理由ではない。お腹がすけば、食べ物を食するように、たのしいも進歩していき、誰かに接したくなる。その進歩を放置していれば、たのしいは己を大切にしなる、自己愛に至る。悪ければ、他人に手を出すこともあり得る。自分を悪い状況に陥らないように、他人との関わりを維持しなくてはいきたいのだ。